*誕生から死後まで時系列的に聞いていく。
*時代の変化を押さえるため、「〇〇年頃に生まれた人の場合はどうであったか(やったか、やらなかったか)」を具体的に聞くとよい。
*儀礼に関わる質問が多くなるが、「いつ、どこで、誰が、何をした」かを正確に聞き取ること。また特に供え物などに何が用いられたのかに注意する。
*子供を授かることを願って、祈願や儀礼を行うことはあるか
>ある場合どこで誰が何をしたか(ウタキや神社、洞窟に行く、ヒヌカンに祈る、など)
>「産のあった近隣の家で、胞衣を埋めた場所を踏ませてもらう」「猫を食べる」など
>親戚の子供を一時預かることで、妊娠が促される、という言い伝えはあったか。またそれを何と呼んでいたか(ミシクーガ、など)
*妊娠が難しい女性を何と呼んでいたか
*妊婦のことを地元の言葉で何と呼んだか
>「カサギ」など
>妊娠の経過によって妊婦の呼称は変化したか
*妊娠した(かもしれない)ことはどう気づいたか。また地元の言葉で何と言ったか
>身体の変化(つわりなど)。また「つわり」のことを何と呼んだか
>感覚(特に味覚)の変化など
*つわり負け(つわりがひどくて生活に差し障りが出ること)は何と呼ばれたか。またそうした場合どのような対策をしたか
*妻だけではなく夫につわりが現れるという例はあったか
>あった場合、夫婦両方に現れるのか、それとも夫だけなのかも確認する
*妊娠中の食事にはどのようなものを食べていたか
*腹帯を締める習慣はあったか
>腹帯は地元の言葉で何と呼び、どのような材質、織り方のものであったか
>腹帯を作る人間や、妊婦の腹に巻く人間は決まっていたか
>腹帯はいつ(戌の日か)まいたか
*妊娠中、着衣などに変化はあったか
*胎児の育て方に言い伝えはあったか
>「小さく産んで大きく育てる」など
*妊娠したら妊婦がしなくてはならないことはあったか
>薪を拾い集める(どのような木であったのかも)、おむつや産着をつくる、など
>産着などは出産が近づいてからひそかに縫う習慣が多い、理由とともに確認すること
*妊娠中に「やってはいけない」と言われているものにはどんなものがあったか
*行為に関わるものではどのような禁忌があったか。禁忌を犯すとどうなるのかも聞く
>欠けた茶碗を使う、急須から直接に茶や水を飲む、首に手ぬぐいを巻く、火事を見に行く、障碍者を見る、船のロープや馬の手綱をまたぐ、箒をまたぐ、(夫が)豚を畜殺する、棕櫚の木に下着を干す、洗濯物を逆さに干す、など。
*食事に関わるものではどのような禁忌があったか。禁忌を犯すとどうなるのかも聞く
>他人の食事をほしがる、二股大根を食べる、タコを食べる、シャコガイを食べる、イカ汁を食べると子にアザが出来る、野イチゴを食べると子に赤アザができる、鶏・ヤギ汁・イカ汁を食べると出産が早まる、など
*死者に関わるものにはどのような禁忌があったか
>臨終の場に居合わせてはいけない、死者を見てはいけない、葬式に出てはいけない、洗骨にかかわってはいけない、墓開けに立ち会ってはいけない、葬列をみてはいけない、など
※この項は人権上の問題とも関わるため、必ず話者との信頼関係を得た上で聞くこと。通常の民俗調査では聞き取りを見送る判断があってよい
*私生児を身ごもった女性は何と呼ばれたか
*どのような妊娠であった場合、堕胎することが検討されたか
*堕胎するためにどのようなことが行われていたか
>腹を圧迫する、重いものを持つ、イカ汁を飲む、木の皮を煎じて飲む、など
*堕胎した胎児はどこに埋められていたと言われているか
*流産や死産であった場合、胎児はどのように葬られたか
>埋められた場所などはどこか
*産屋は夫方・妻方いずれの実家にもうけたか
>女性は嫁ぎ先で子供を産んだか、それとも実家に戻って産んだか、ということ
*出産する産屋はどこに設けたか(家の一室、家の敷地内に建てる、など)
>産屋には地炉(ジール)はあったか
>産屋にしめ縄をめぐらすことはあったか。その縄は誰が作り、どんな特徴があったか
*産屋のことを地元の言葉で何と呼んでいたか
*産屋の床は板や畳であったか。それとも土間などであったか
>土間であった場合、稲わらやムシロを敷くことはしていたか
*産屋には捕まるための縄や柱は用意されていたか
*妊婦が出産の数日前から産屋で寝起きするようなことはあったか
*妊婦が出産の前後で、家族と同じものを食べない(同じ火で煮炊きしたものを食べず、別に用意する)習慣はあったか
※もし産婆の経験がある人物が地域にいたら紹介してもらうこと
*この地域ではいつごろまで病院や産科ではなく、産婆や助産師の助けで出産していたか
*産婆はどのような人物が務めていたか
>お産に慣れた中高年の女性、母や祖母、元看護婦、など
>免許の有無についても確認する
*産婆のことを地元の言葉で何と呼ぶか(カッティ、フススジャー、など)
*妊婦は産婆にいつごろ、どのように依頼をしにいっていたか
>出産の前に産婆のところに行き、いろいろ相談するようなことはあったか
*産婆にはどのくらい謝礼を渡すものであったか
>お金か物(野菜など)か
*産婆を男性が務める場合はあったか
*臨月に安産のために祈願する習慣はあったか
>どこのどのような神に祈願したか
*「産気づく(生まれそうになる)」ことを地元の言葉で何と言うか
*産気づくのはどのようなときだと言われているか
>海が満ち潮の時、など
*出産の際には妊婦のほかにどのような人が立ち会ったか
*出産に際しては産屋にどのような準備を整えたか
>火を焚く、湯を沸かす、など
*出産は座産(座って産む)であったか、伏臥(横になって産む)であったか
*難産であるときにはどのような対応をしたか
>儀礼を行う、特別な食べ物を口にする、など
>妊婦の姿勢を変えるなど
*へその緒は何を使ってどのように切ったか。またへその緒を切ることを何と言ったか
*へその緒を地元の言葉で何と言うか
*へその緒はどのように管理(処分)されたか
>保管される場合、「なくしてはいけない」というような言い伝えはあったか
>処分する場合、特定の場所に埋めるなどのしきたりはあったか
*胞衣(えな;胎盤のこと)はどのように処分したか
>特定の場所に埋めた場合、どこになるか
>そのような場所に埋めた理由は何か
*胞衣を埋める際に立ち会うのは誰か
>たくさんの子供を集める、多くの人に踏んでもらう、などの習慣はあったか
*胞衣を埋めた場所に石などを置く習慣はあったか。またそれは何のためか
*子供の夜泣きがひどい時、胞衣を掘り返してから埋め戻す習慣はあったか
*「自宅での出産」から「病院での出産」に代わって、へその緒や胞衣にまつわる習慣はどのように変化したか
*出産後、初めて産湯で洗うことを地元の言葉で何と言ったか
>産湯はどこで汲んだ水を沸かしたか
>井戸などは特定されていたか。またその井戸を何と呼んでいたか(ウブガーなど)
*産湯の沸かし方や使い方には決められた作法があったか
>「まず湯を沸かしたうえで水を足していくことで温度調節をする」など
>産湯で洗う際には石鹸を使っても良かったか
*産着は産湯をつかってすぐに着せてもよかったか
>よくない場合はどのくらいの期間、別のどのようなものを着せていたか
*産着には何かの魔除けをほどこしたか
>縫い方のしきたり、糸で×などのしるしを編み込む、など
*出産時に出た汚物を水辺に洗いに行く習慣はあったか。また何と言う儀礼だったか
>誰が汚物を持ったか。
>このときに魔除け(刃物、藁やススキのサンなど)を持ち歩く習慣はあったか
*川下りにはどのような水場を使ったか
*新生児の枕元に刃物やサン、塩などを置く習慣はあったか
>それらは何のために行っていたか
*新生児の男女の性をさかさまに報告する習慣はあったか
*新生児の額などにカマドの煤をつけるような習慣はあったか
*新生児の額や体などにサワガニを這わせるような習慣はあったか
*命名は誕生後、いつごろに行ったか(時代による違いも)
*命名は誰が行ったか(両親、祖父母、名付け親など)
*命名札を作って飾る習慣はいつごろからやっていたか
>命名札は誰が作り、どこに貼りつけていたか。また処分することはあったか
*命名に際して儀礼を行うことはあったか
*ワラビナー(童名;幼少期にのみ限定して使われる名前)をつける習慣はいつまで行われていたか
*ワラビナーはどのような方法で命名されたか
>親戚からもらう、同じ干支の人からもらう、クジによってつける、など
*新生児の名前(ワラビナーを含む)を神様に報告する習慣はあったか
*名づけられた新生児を豚小屋に連れていく習慣はあったか
*名づけられた新生児を庭に連れ出す習慣はあったか
>その場合庭にはどんなものが用意されたか(笠・箕、棒、芝草、クワ、弓矢、的など)
>それらの道具はどのように使われたか
>新生児を太陽の光に当てることはしたか
*命名儀礼は誰が行ったか
>カカン(はかま)を頭にかぶる習慣はあったか
*新生児の髪を切る儀礼はあったか(その日取りと儀礼の名前、やり方も聞く)
*出産祝いは誕生後、どのくらいの日取りで行われたか
*出産祝いには誰が列席したか
>誰が来るかのほか、贈り物などが行われたかも確認する
*出産祝いではどのようなことが行われたか
*出産祝いのときにはどのようなものを食べる習慣があったか
>メニューについて聞き取る。
>なぜその食品を食べるのか、その言い伝えについても確認する
*出産祝いを「あえてしない」地域や家はあるか。しない場合理由は伝えられているか
*産後の女性を指す地元の言葉はあるか
*産後の女性はどのような食べ物を口にしていたか
>産後しばらくは口にしてはいけない食品はあったか
>「血ができるように」「乳が出るように」などの理由で特に食べたものはあるか
*出産後、女性はどのくらいの休養を挟んで日常生活に復帰したか
>時代の変化などとあわせて確認する
>休養期間や、復帰を指した地元の言葉はあるか
>この期間、「三線を鳴らさない」などの決まりはあったか
*産屋は産後、いつ片づけを行ったか
>しめ縄をかけていた場合、いつ外したか
>地炉で火を焚いていた場合、いつごろやめるか
*産後しばらく、妊婦が入浴や水浴びを避ける習慣はあったか
*産後、妊婦が新生児を連れて実家に戻る習慣はあったか
*母乳のほかに新生児にはどんなものを飲ませていたか
>甘草(カンゾウ)、山羊や牛の乳、白湯など
*赤子の子守はどのような人が行ったか
>その人にはどのような謝礼を行ったか
*離乳食として食べるものはあったか
*子供で体が小さいうちは食べてはいけないと言われていたものはあったか
*親戚などに「養親(ヤシナイオヤ)」として子供の仮親になってもらう習慣はあったか
>仮親はどのようなときに行ったか(夜泣きがひどい、体が弱い、など)
>仮親を頼むのはどのような間柄の人間に対してであったか
*養親にはどのような謝礼を行ったか
*養親は具体的には子供をどのくらいの期間預かり、子供にどのようなことをしたか
*子供がかかる特有の病気としてどのようなものがあったか
>湿疹などの皮膚病、水ぼうそう、眼病のほか精神的なものも聞く
*誕生後、1年目に行う儀礼はあったか
*6歳ごろ(就学年齢前)までの子供はどのようなものを着ていたか
>服の素材や形態、仕立て直し、おさがりなどについても確認
>男女での違い、下着など
*子供の髪は誰が切り、どのような髪型にしていたか
>男女での違いも確認する
*就学年齢以前の子供が亡くなった場合、大人とは異なる葬墓制を行う習慣があったか
>葬儀を行うか否か、同じように墓に納めるか等
>後段にある通常の葬法を踏まえ、差異を確認する
*子供の夜泣きやカンシャク(感情の爆発)がひどい場合、まじないなどを行う習慣はあったか
*子供はマブイ(霊魂)が落ちやすい、という考えはあるか
>その期間はだいたい何歳ごろまで続くものと考えられていたか
*小学校は誰でも行くものだったか
>いかない子供、いけない子供がいた時代がいつごろまで続いたのか調べる
*学校にはどのような身なりで通っていたか
>かばんや帽子、靴などについて聞く
>下着を着るようになったのはいつごろのことだったか
*農繁期(農業が忙しい時期)や祭りの日、清明などで学校が休みになることはあったか
*学校行事ではどんなことを行っていたか
>特に運動会は何月頃おこなわれ、どんなことをやっていたか
*子供の「いたずら」にはどんなものがあったか
*子供の「いじめ」にはどんなものがあったか
*学校に対して親はどのようにかかわっていたか
>昔と今の違い。PTAの組織など
※伝統よりも、ある特定の時代の子供たちの創造性が関わる項目である。時代の記録として重要ではあるが、個々の話者での違いが大きいことに留意すること
*子供期から就学期にかけ、子供はどのような遊びをしていたか
>男女、年齢の違いにも注目する
*子供は何らかの「遊び仲間」を形成していたか
>何人くらいのどのような子供で構成されていたか
>この仲間を何と呼んでいたか
*先輩・後輩といった関係は、遊び仲間にどのように関わってきたか
*遊び仲間にはリーダーはいたか。どういう子供がリーダーになったか
*子供はどんなおもちゃで遊んでいたか
>具体的に挙げてもらう。また時代的な変化もあわせて記述する
*大人から「こづかい」などをもらう習慣はあったか
>もらっていた場合幾らくらいで、どんなことに使っていたか
*子供はどんなところを遊び場にしていたか
*子供の遊び場は、大体どのあたりまでであったか
>集落をまたいで遊んでいたかどうか。海・山の利用なども
>学区をまたいだ「遊び仲間」があったかも確認する
*遊び仲間の関係は、その後の人生でも引き続き関わってきたか
※「何歳頃にどういう社会的役割を与えられたか」というライフステージを押さえていくことが主軸となる。ただし沖縄のみならず、戦前期には徴兵忌避などの理由で両親が不正確な年齢を役場に申告し、そのために本人でも正確な年齢や誕生日が不明である場合がある。このため「それは何歳でしたか」という特定のための質問が、時には話者にとって「自分でもあやふやなことを答えていいのか」というプレッシャーにつながる場合があることを頭に入れておくとよい。
※いわゆる「若者の民俗」として従来調べられてきたものを挙げた。21世紀となった現在では分からなくなっている恐れが強い。60年代以降に生まれた話者の場合、年祝い以外は飛ばして、次項にいって良い。
*13歳の年祝いはどのようなことをおこなったか
*年祝いの頃の青年はどのような衣服を着ていたか
>「ふんどしを巻くのは何歳から」と言われていたか
*女性が入墨(ハジチ)を入れ始めるのは何歳ころからであったか
*青年が、自宅の屋根裏や家畜小屋の天井裏に床を敷き、自分のスペースとして与えられる習慣はあったか
>そのスペースを何と呼んでいたか(天井小/テンジョウグヮーなど)
>天井小では誰が集まり、どのようなことをしていたか
*夜に集落の広場(毛=モー)に集まってアシビをするモーアシビの習慣はいつごろまであったか
>もし記憶のある話者がいたら、どのような人がどこに集まって何をしていたのか聞くこと
*若者の労働にはどのようなものがあったか
※ここで言う「労働」は、就職のような働き方に限定されない。農家の手伝いやアルバイトなども含む。
>生家が農家であった場合、どのような仕事が任されたか
>農業以外にどのような仕事をしていたか
*若者は何歳くらいから仕事をするものだったか
>時代、男女差などで大きな違いがある。「話者の場合は」という聞き方でよい
*青年期に集落の外に働きに出る例はあったか。あった場合、どこでどのような仕事をしたか
>「糸満売り」などを含む
*「半人前」を指した地元の言葉はあるか
*半人前の者は、どのくらいの賃金で働いていたか
>賃金は若者本人のものになったか。それとも実家に渡されたか
>賃金体系はどのようなものだったか(月ぎめ、歩合制、一括先払いなど)
*何歳くらいから、どのような条件を満たすと一人前と見なされたか
*実家を離れる者は、何歳くらいで独立していたか
>長男が独立することはできたか
>独立するきっかけとなるのはどのようなことだったか(仕事が那覇で見つかった、など)
*女性が夜集まって帽子を編んだり機織りをする習慣はあったか
>あった場合、それを何と呼んでいたか
*未婚の若者の娯楽にはどのようなものがあったか
>話者が10代から20代前半にかけて娯楽としていたものは何か
>どのような場所で何をして遊んでいたか
*若者の交友関係はどのようなものであったか
>どのような友人とともに、どんなことをしたか
>親しく付き合うのはどのような人物(年齢差、地元の人間か、など)であったか
*異性との交遊はどのようなものであったか
*若者は幾らくらいのお金を自分の裁量で使えたか
*飲酒・喫煙など、大人にしか許されないものはどのように覚えたか
>どのような酒、どのような煙草をたしなんだかも聞く
※沖縄には伝統的には集落の若者の組織化は弱く、近代以降に政策的に形成された面が強い。活動内容等の聞き取りでは、行政とのつながりを意識しておくこと。
*地域に未婚の若者が入る集団(若者組・青年団など)はあったか。あった場合何という組織名だったか
*青年団には加入条件はあったか
>長男のみ、男性のみ、集落出身者のみ、など
*青年団はどのような活動をしていたか
>民俗芸能、祭礼の補助、防火・防犯、奉仕活動など
*青年団はどのような組織であったか(団長ほか役職など)
*青年団の活動費はどのように拠出されていたか
*青年団は普段はどこで集まっていたか(公民館、誰かの家、学校など)
*どのようなときに青年団から脱退したか
>婚姻した時、集落を離れた時、けがをしたとき、など
*成人は何歳の時だったか。あるいは何をもって成人と見なされていたか
>「青年団に加入した時」、「20歳になった時」などのほか、戦前の場合は徴兵検査を通ることが目安とされていたことがある。話者の年齢次第では聞いてみること
>成人年齢に男女での違いはあったか
*成人の祝いとしてはどのようなことを行ったか
>誰が集まり、どのようなものを食べたか
>晴れ着などを着ることはあったか
*戦後、成人式をやるようになったのはいつごろか
>学校で行われる現在の成人式が開始される以前には、成人式に相当する行事は存在していなかったか
>もし何かやっていたのなら、どのような行事で、いつ始まり、誰が仕切ってどのようなことをしたのか聞く
※時代による変化が著しいため、「いつ」の時点ではどのようであったのか、ということを限定して聞いていくこと
※ここでは主に戦前から昭和期の慣習を基準に立項している。近年ではホテルや式場を使って披露宴を行う例が大半だが、ここではさしあたり割愛している。
*結婚相手はどのように探したか
>自分で決めたか、親決めか
>見合いを行っていた場合、見合いは誰が仕切り、どのように進めたのかを聞く
*どのような人物が「よい嫁」「よい婿」と考えられていたか
>自分と同じ集落出身であることは重視されたか。重視されていた場合、どのくらい遠方までが「結婚してよい範囲」だったか
>性格、よく働くこと、職業、収入、健康、体格や顔だちなど、どのようなことが配偶者には重視されたか
*結婚前の交際期間はどのくらいの長さだったか
*交際期間にはどのようなことを行ったか。またそれはどのくらい公にしてよいものであったか
>一緒に遊びに行く、食事に行く、など。また相手方に泊まりにいくことは認められていたか
*初婚年齢は、男女それぞれ何歳くらいであったか
*結婚する男女の年齢差はどのくらいであったか
>「同齢」「どちらが何歳くらい上である」など望ましいとされた年齢差はあったか
*イトコの間柄にある者同士の婚姻は、良いとされていたか悪いとされていたか
*婚姻の申し入れはどのように行ったか。またそれを地元の言葉で何と言ったか
>夫が妻方両親に挨拶に行く、など
>どのような格好で、何(酒など)を持参して出向いたか
>「日取り」などを気にすることはあったか
*婚姻の申し入れの際に、同行する人物はいたか
*婚姻の申し入れが断られることはあったか
>どのような場合に断られたか
>親などが反対した場合、誰かが仲裁することで調整することはできたか
>回答を保留し、複数回申し入れさせて初めて認める、というような習慣はあったか
*申し入れを行う前に、女性が妊娠している例はあったか
*結納(サキムイ=酒盛り)の日程はどのように決めたか
*結婚(ニービチ)の日程はどのように決めたか
*今でいう結納の習慣はあったか。あった場合、地元の言葉で何と言うか
*結納はどこで、誰が集まり、どのようなことを行うか
*いまの「結納金」にあたるものを妻方に納める習慣はあったか
>納めるものは何で、地元の言葉で何と言ったか
*妻方で結納のために用意するもの(料理など)はあったか
*結納の席には、婚姻する男女のほかに、どのような間柄の人間が参集したか
*結納の際、神棚や仏壇に挨拶したり報告したりする習慣はあったか
*結婚式は結納からどのくらい後に行われたか
*結婚式を地元の言葉で何と言うか
*結婚式はどこで開いたか
>妻方か夫方か、また公民館などを用いる例はあったか
*結婚式に際して、夫が妻方に嫁を迎えに行く習慣はあったか
>迎えに行く場合、夫に同行する人間はいたか(間柄、人数なども)
>迎えに行く時間帯などに決まりはあったか
>夫が嫁を迎えに行く際、妻方の神仏に挨拶したり報告する習慣はあったか
>嫁が生家を離れる際、何かまじないをする習慣はあったか
*嫁入り道具はこの時に一緒に移動したか
>この時ではない場合、いつ持ち運んだか
>嫁入り道具としてはどのようなものが持参されたか
>ヒヌカンやその灰を嫁が夫方に持参する習慣はあったか
*新郎が一度夫方の家を離れ、どこかの家で一休みしてから、結婚式を行う実家に入ってくる習慣はあったか
*結婚式では何を行ったか
>水盃(みずさかずき)を交わす、など
*結婚式には誰が集まり、どのような食事をしたか
*結婚式は何時間(何日間)くらい続いたか
*離婚した後の再婚の場合、
*集落の外に嫁ぐ女性をいじめる習慣(儀礼的虐待)はあったか
>あった場合、どのようなことをしたか
*集落の外に女性が嫁ぐ際、集落に一定のお金を払う習慣はあったか
>あった場合、その習慣を何と言ったか
>お金は誰が受け取り、何に使われたか
>金額は幾らくらいで、どのように決められたか
*別の集落でも、そこに嫁ぐ場合に限っては上記のような「いじめ」などがされないことになっていた集落はあるか
*集落の範囲を越えて、婚姻することが一般的になったのはいつごろか
>その理由について聞いたことはあるか
※一般論として聞くこと。プライベートな問題に関わるため、無理に調査する必要はない
*どのようなときに離婚が起きたか
>浮気、不妊、経済的要因、など
>離婚する場合、どのように手続きが進められたか
>離婚する際、嫁入り道具やヒヌカンの香炉などはどのように扱われたか
*離婚した者が再婚した際、初婚とはやり方が変わったり、やらなかったりする儀礼はあったか
*離婚し、既に姻族関係にはなくなっている女性の位牌や遺骨を、死後になって元の夫方の墓や仏壇に納めるようなケースはあったか
>あった場合、その習俗を何と呼んでいたか(グソーヌニービチ、など)
>それらはどのように進められたか、具体的に聞く